さよならまでの長い距離

あらゆる「はじめまして」から「さよなら」までの間について

春は来ぬ

これは去年の桜f:id:twinkle-0372:20180329145734j:plain

去年の今頃、真夜中に泣き叫ぶようになってメンタルクリニックに罹った
適応障害だと言われた

その帰りに寄った公園で撮ったのがこの写真
ああ、死にたいな、とぼんやり思った



一年後のいま、わたしはまたこの公園にいる
相変わらずぼんやりと死にたいな、と思う
去年と同じように桜を見上げながら、噴水にときたま現れる虹を探しなから



何か変わったのかな、何が変わったのかな



桜が咲く度にわたしは思い出すのだろう
またここに戻ってきてしまったこと



今年も桜は綺麗です

社会的自傷行為

今になってこんなにブログを更新できるのは、仕事がなくて暇な上に落ち込んでいるからです
やっぱり創作は落ち込んでいる時にするに限る
まとも(?)な詩も久しぶりに書けたし

高校生のときは毎日つらくて、毎日詩を書いていた
書いてたブログはもう読めなくなってしまったけど
詩って言ってもめちゃくちゃ短かったし(長くても5行くらいだった)
いまでも覚えてる詩もちらほらある



落ち込むためにはお腹を空かせること、やらなければいけないことを放棄すること
こうするとアイデアが浮かんできますやったね!


わたしが仮に職業作家とかになったらめちゃくちゃ締切踏み倒すんだろうな

ノストラダムスの予言を知らない少女

タイトルそのまんま
わたしはノストラダムスの大予言を知らなかった(ちなみに1991年生まれ)
確か予言そのものを知ったのは中学生、矢沢あいNANAを読んだ時だった気がする
たぶん親がそういうのを信じないタチだから、情報がシャットダウンされていたのだと思う
友達もいなかったし



米津玄師のブログを読んで、ノストラダムスのことを思い出した
米津玄師は同い歳(学年は違うけど)なので何かと気になる存在ではある
曲は正直よく知らないんだけど、インタビュー記事とかを読むとなんとなく気が合いそうな人だなあと思う



世界が終わる瞬間ってどんな感じだろう

春だったら今くらい桜が咲き誇ってる昼下がりがいい
夏はめちゃくちゃ暑い午後二時頃か蜩の鳴き始める夕方
秋は少し西に差し掛かって太陽が黄金色になる午後三時
冬はしんしんと粉雪の降り頻る真夜中


こんな瞬間に世界が終わったらきっと美しいよ
気持ちいいなあ、ってそっと瞼を閉じたらいつの間にか終わってるというのがいい

春(詩)

銀(しろがね)に瞬く
花弁が降り注ぐ中
僕らの意識は間(あわい)を揺蕩う

何者でもない君から君を奪って
本当のまっさらにしてやりたい

上手にさよならができないから
僕は笑って誤魔化すよ

誰も僕を呼ばないでくれ
思い知らせようとしないでくれ

地続きの世界の端っこで
僕は飛び立つ練習をしたいんだ

ベイマックスみたいな、

ちなみにベイマックスを観たことはない(タイトル)



母のことを書いたので、今度は父のことを

父はわたしとは正反対のひとで、生活力めちゃめちゃあるしきっちりしてるし仕事大好きだし何より自分大好きだし、まあ「こういう人がいるお陰で社会は回っているんだよな……」という感じの人です

ただ怒りの感情が爆発しがちな人で、その上言葉の選び方が全然適切じゃない
「そこまで言う?」みたいなこと言う
怒鳴るのが生き甲斐、みたいなところあるし



この前は親子三人で落語を聞きに行ったんですけど、特に父がえらい感動してボロボロ泣いてたんですよ(ちなみに権太楼師匠の「百年目」という噺)
で、あの噺良かったねってわたしら家族で口々に言いながら帰ってきたわけです

その翌朝、父が家事をしてました
朝に弱い母がその後起きてきました
それを見た父が「家事もできねえなら外に出かけるなよな!」的に怒鳴ったんです

いやお前も感動してたじゃん、とついツッコミを入れそうになったよね
入れたら更に炎上するから言わないけども



尊敬はしてる、本当にこういう人がいるお陰で社会は成り立ってると思うし

ただ……なんだろうな


不思議なのは父はわたしのことを結構すきなんですよね

父から見たら割とどうしようもねえなコイツって感じだと思うんだけど、父はわたしに明らかに甘いと思う
毎日のように怒鳴られてるけどな



結婚式とかで花嫁から両親に感謝の手紙とか読むじゃないですか
あれで父親に書ける気がしない
まあ別に何の予定もないんだけどさ

世間的に言えばすごくいい父親だとは思う

ギャンブル一切やらないし、家族大好きだし、お金もちゃんと家のために入れてるし

でもなんていうかなあ、家族が好きな自分が好きなんだよな多分



父は母子家庭で育っているので、そもそも「父親」というものにすごく大きな期待があるんだと思う
それは母親も同じで、母親の父はどーーーーーしようもない感じの人だったのでふたりとも「尊敬できる父親」というものに固執してる

なんかさ、それが虚しいっていうか
それ所詮虚像じゃん?っていう



わたしにとって父はあくまで父親で、ひとりの人間としての関わりが見えてこないんだよな

だから好きなおかずとか知らないもんな
甘いものはだいたい好きみたいだけど
買っておいたお菓子とかだいたい食べられてしまうし(食べ物の恨みは強い)



人の話を聞かないし、自分の話も基本仕事の話で「何をどう感じたか」みたいな話は出てこないし
わたしの父親はいったい誰なんだろう



わたしにとって家を守ってくれるロボットみたいな感じなのかも、わからんけど

言い過ぎてる自覚はあります




【追記】

めちゃくちゃ父について考えた結果、父は天才なんだと思いました。

雑な説明で申し訳ない



どういうことなのかというと、わたしたちは基本的に善悪とか好悪とかを後天的に学んでいくじゃないですか
家族、友人、先輩後輩、上司部下、ご近所親戚その他諸々の関係性の中で

これは世間では良しとされてるけど自分は好きじゃないな、とか、逆も然り



でも父はそれを先天的に悟ってる
悟ってるというか、世間の物差しをほぼほぼそのまま生まれ持っている



だから自分がないとかそういうことはないんですよ
無理矢理世間に合わせてるわけじゃないから
世間で善とされているもの、好ましいとされているもの、それがほとんどそのまんま自分の倫理観に当てはまってるんですよ
もうこんなん天才と言うほかなくない?


そりゃ相容れねえわ〜〜〜
世間の善悪観全くわかんねえわ〜〜〜
そういや高校生くらいのときはよく「おとうさんには敵わない」みたいなこと言って泣いてたわ〜〜〜



スッキリしました

幸福の終わり

おかあさんはわたしそのものだった

おかあさんは内面的にすごく自分と似ていて、当たり前だけど歳上なもんだからわたしの感じた気持ちはほとんどすべて経験済みで、言葉を尽くせばなんでも分かり合えると思える存在だった


だけど、わたしが就職して社会人になった途端、おかあさんはおかあさんじゃなくて「母親」で「社会人の先輩」になった


こんなつらいことがあったよ、という話をしても「社会人はみんなそんなものよ」
こんなかなしいことがあったよ、と言っても「社会人はみんなそんなものよ」

わたしが社会人になったらわたしとおかあさんはわたしとおかあさんじゃなくなった
新米社会人とその母親になった

それまではおかあさんに抱きしめられると胸の中心がほっと緩むような感覚があったけど、それもなくなった


わたしは本当にひとりきりになった


ここまで母親と心が通じ合える子どもってのは本来いないんだよな
いままでが幸福すぎたんだ
それをまだちょっと受け入れきれてないけど、もうアラサーなのに

だからこうやって「もうおかあさんとは分かり合えないんだ」というのを何度も確かめて自分を納得させようとしてる





さよなら幸福
こんにちは現実

夜が優しくなったら、

生きていけなくなる前兆だと思う(タイトル)



どうでもいいけどタイトル受けの記事多いな
短気だから言いたいこと先に言ってしまいがちなのかも


今月は事業所閉鎖があってやっぱり緊張してたのか、生理もずれ込んだしそもそも不正出血あったしあんまり調子がよろしくない



今よりもっと生きるのが怖かった学生の頃、夜は自分の味方だった
世界から自分を覆い隠してくれるような時間だった


社会人になって疲労・肌・翌日の出勤などのために「夜は寝る時間」になってしまったけど、ほぼニートのような現在、夜はやっぱり安心するなと思った


高校生の頃から変わらない感性を愛おしむべきか、
それとも自分の調子の悪さを嘆くべきか
難しいところ


でもやっぱ眠いな