幸福の終わり
おかあさんはわたしそのものだった
おかあさんは内面的にすごく自分と似ていて、当たり前だけど歳上なもんだからわたしの感じた気持ちはほとんどすべて経験済みで、言葉を尽くせばなんでも分かり合えると思える存在だった
だけど、わたしが就職して社会人になった途端、おかあさんはおかあさんじゃなくて「母親」で「社会人の先輩」になった
こんなつらいことがあったよ、という話をしても「社会人はみんなそんなものよ」
こんなかなしいことがあったよ、と言っても「社会人はみんなそんなものよ」
わたしが社会人になったらわたしとおかあさんはわたしとおかあさんじゃなくなった
新米社会人とその母親になった
それまではおかあさんに抱きしめられると胸の中心がほっと緩むような感覚があったけど、それもなくなった
わたしは本当にひとりきりになった
ここまで母親と心が通じ合える子どもってのは本来いないんだよな
いままでが幸福すぎたんだ
それをまだちょっと受け入れきれてないけど、もうアラサーなのに
だからこうやって「もうおかあさんとは分かり合えないんだ」というのを何度も確かめて自分を納得させようとしてる
さよなら幸福
こんにちは現実